【インタビュー】距離を感じていた母とレンズ越しに向き合った。シャルロット・ゲンズブールが語る映画『ジェーンとシャルロット』
ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールの娘であるシャルロット・ゲンズブールが初監督を務めたドキュメンタリー映画『ジェーンとシャルロット』が、いよいよ8月に公開を迎える。母と距離があった、と話す彼女から紡ぎ出される物語は、いったいどのようなものなのか。映画製作秘話や母と子のプライベートな一面まで真摯に明かしてくれた。
母であるジェーンと私、そして私の娘を入れた
三世代の女性を描くことにしていったのです
━━━『ジェーンとシャルロット』では、シナリオなし、さまざまな場所でのインタビューと、映画としては異例のやり方でお母様、ジェーン・バーキンさんの気持ちを引き出してらっしゃいます。東京からスタートして、フランス、NYと、ロケーションを変えたことは、ドキュメンタリーにも影響があったと思いますか?
「撮影に入る前から、それぞれの場所にテーマを設けていました。日本パートは日本を大好きだったケイト(・バリー。シャルロットの姉)です。そしてNYは私が暮らしているので私。パリとブルターニュは母、と考えていました。本当はイギリスのパートも考えていて、妹のルー(・ドワイヨン)をメインにしたものにしたかったのです。ところが、新型コロナウイルスの感染が拡大してしまい、イギリスに行けなくなってしまって。それに、ルーからは“この作品はあなたのフィルムなのだから、私が出る幕じゃない”って言われたのです(笑)。それで自分がやりたいことは何かを考え直して、私から見た母、ということに焦点を絞ろうということにしました」
━━━でも、そこにはあなたの娘さんも重要な立ち位置で出演していますよね。あなたとお母様だけではなく。
「そう。母と私の2人組、それから私の娘を入れた三世代の女性を描くことにしていったのです。私にとっての母と同時に、私自身が母であること、そして娘から見た祖母、という視点を入れることで、ディスカッションに深みが生まれたと思います」
━━━それを感じられるのは、ブルターニュにあるお母様のご自宅のシーンですね。あそこで素直にびっくりしたのは、お母様がとても庶民的なこと。エルメスのバーキンを持って優雅にレストランに行っているものかと思われがちですが、食材を自分で買って自分でお料理をしていますよね。
「私にとっては、あれがいつもの母なのです。母の知られざる一面を見せてやろう、という気持ちはさらさらなくて、普段の母を見せようとしたのですが、そんなに驚かれました?(笑) 母は人を招いて食事をふるまうのがとても好きなのです。たしかに私の父(セルジュ・ゲンズブール)と一緒にいた時代は、もうちょっとセレブ的な生活をしていました。カップルでよく外出していましたからね。でも、父と別れたあと、母はあのシーンで感じていただけるようなファミリーを中心にした生活を大事にするようになりました。いろんな人と接して、気持ちを分かち合うのが大好きなのです。その一面を観てもらいたかったのです」
特に気に入っているのは
ブルターニュの家のベッドで
母と友だちのように語り合ったシーン
━━━ジェーンさんの意向で一度中断したとも伺っています。撮影にはどれくらいの時間がかかったのですか?
「だいたい4年くらいですね。実は日本のパートを撮影したあと、母はどうにもこの企画が受け入れられなかったようで、一度中断しました。その日本のパートを見せたら再度OKが出たのですが、今度は私がちょっとメンタルを病んでしまい、調子が悪くなってしまったのです。そのときに母が手を差し伸べてくれて、助けてくれました。そういう経過をたどりながら、ようやく撮影が再開されたのですが、結果的には時間をかけたことが正解だったと思っています。お互いがカメラの前で慣れ親しんで、お互いを受け入れていくためには、4年くらいの時間が必要だったのです。映画で映し出されている順番に撮影したわけではないのですが、全体の構成として私と母の距離がちょっとずつ縮まっていくように編集しています。最後のほうでは2人の間にちょっとした共犯関係みたいなものまで成立していました。なにせ最初の日本のシーンではまだまだ2人の間には距離があったので、すごいギャップがあると思います」
━━━順番に撮られていないのに、感情の時系列は自然に流れていますよね。編集が大変だったのでは?
「本当に。でも、編集担当のスタッフから学んだことがあります。コロナ禍にNYにいたときに始めたのですが、そのときは日本で撮影したパートだけが素材としてありました。他は全く撮影できていなかったのですが、そのときに編集スタッフに“とにかくどんどん撮って!”と言われたんです。何かを気にしながら撮るのではなく、とにかくどんどんと撮れ、と。そのようにした結果、非常によいバランスの映像が集まったんです。つまり、カメラマンによってコントロールされた、非常にきっちり撮影されているパートと、私がカメラを持って即興で撮った自由なパートが混在したのです。その無秩序にも感じられるタイプ違いの素材が合わさったことで、絶妙なバランスが生まれたのです」
━━━気に入っているシーンはありますか?
「特に気に入っているのは、後半のブルターニュの家でのことです。あのとき私たちはほとんど友だちみたいな関係になっていて、ベッドの中に一緒に入って、母が私のからだについていろいろと質問したり、重要な仕事を抱えているときの睡眠について語り合ったり。あの瞬間は私にとって忘れられない時間。大好きですね」
━━━パリのシーンでは、お父様、セルジュ・ゲンズブールさんのご自宅を博物館「メゾン・ゲンズブール」として公開するお話や、そこに初めてお母様が入られるところが収められています。
「すごく不思議なことですよね。この映画が日本で公開され、その次の月からオープンというタイミングですから。でも、このミュージアムの計画はずっと考えていたことでした。それと共に本作の話も浮上してきて、偶然が偶然を呼んでいろんなラッキーが重なったと思っています」
━━━本当にすごいタイミング。すぐにでも行きたいですね。
「それがありがたいことに、サイトで予約を開始して4時間くらいでかなり先まで予約が埋まってしまって。なので、最短でも見られるのは来年かな……」
━━━これから計画を立てたらちょうどよさそうですね。そもそも博物館として公開する決断はどうして?
「父の死を乗り越えるために必要なことだと思ったのです。あの家は、父が亡くなったあともそこにいた父の気配を感じる、父が今でも住み着いている場所……といっても、オカルト的な意味ではなくて、思い出がたくさん詰まった場所なのです。そんな場所を手つかずで放置することが私にとっては気がかりでした。だから、あそこを公開することは私にとって大きなステップだったのです。訪れていただく方にはヘッドホンを渡して、そこから私がしゃべった解説を聞きながら見学していただくことになります。なので、私や父をすごく親しく感じていただける場所になると期待しています」
両親ジェーンとセルジュの出会いから、
映画『ジェーンとシャルロット』まで
▶︎ 1968
ジェーンとセルジュが出会う
▶︎1971
シャルロット誕生
▶︎1980
セルジュと別離
▶︎1997
イヴァン・アタルとの交際がオープンに
▶︎2014
拠点をNYへ移す
▶︎2018
『ジェーンとシャルロット』の撮影をスタートさせる
photograph:MANABU MATSUNAGA, AFLO, GETY IMAGES / interview & text:MASAMICHI YOSHIHIRO
otona MUSE 2023年9月号より