ちょいコミュ障な主人公の人生を変えたのは? 映画『時々、私は考える』監督レイチェル・ランバートの狙い
新進監督が見出した「生きる」楽しみ
『時々、私は考える』
不器用ですから……と、昭和テイストの寡黙なキャラはもういないと思うものの、器用に世の波を乗りこなしていく人々にあこがれてしまう人はいるでしょう。とくに人づき合い。人と人との距離感をどのようにとっていいのか悩んでいるのは、あなただけじゃありません。『時々、私は考える』は、ちょいコミュ障の女性が、人の優しさに触れたことで人生を変えていくヒューマンドラマ。原題が『Sometimes I Think About Dying』とちょっと物騒なんですが……。「死についての関心は普遍的なもの」というのは、監督のレイチェル・ランバート。
「自分に残された時間のことを考えるのは当たり前にあると思います。だけど、その関心の本当の意味は、生きている今がどういうものか、ということに対する興味なんでしょう。この作品の主人公フランは、とにかくそれを心配してる女性。自分の今と死について考え過ぎて頭がいっぱいになってしまっているときって、誰か、もしくは何かが救ってくれると勝手に期待するもんなんですよね。でも、その答えは別のところにある。それを描きたかったんです」
フランは会社ではちょっと浮いた存在。人付き合いを極端に避けて、誰とも喋らず、ただ黙々と会社と自宅の往復をしている女性。そんな彼女に優しく接してくる同僚ロバートが現れたことで、次第に彼女は人との交流に関心を持つようになります。
「劇中のオフィスや同僚たちとの会話は、ありふれているし、とてもバカバカしい、ただ楽しいものですよね。でもそれって、温かい日々の営みのひとつ。他の監督だったら、そこにいじわるや皮肉を入れてコメディにするかもしれないけど、私はそうしたくなかったんです。なので、オフィスでのやりとりの多くはアドリブでやってもらいました。そうすることで、想定外のユーモアと生きることの面白さが描けると思ったから」
主演のデイジー・リドリーは、本作のプロデューサーも兼務。このきっかけは?
「デイジーは私のデビュー作『In the Radiant City』を観たことがあり、コラボレーションしたい監督のリストに私を入れてくれたんです。それで彼女は、彼女が映画化したいと考えている脚本をたくさん送ってくれたんですよ。それらを読んで、彼女の好みや彼女自身のキャラクターを知ることができたのは素晴らしい経験でした。その後、本作の製作が決まってフラン役を考えたときに、これをできるのは彼女しかいない、と。それでプロデュースと主演の兼務をしてもらうことになったんです」
text:MASAMICHI YOSHIHIRO
otona MUSE 2024年9月号より