木津明子のこども食堂日記vol.9
「曽我部恵一さんを迎えて」
JR根岸線、横浜駅から約20分の洋光台駅。洋光台駅北団地1街区11号棟ラウンジ(サポートby UR都市機構)に、「こども食堂レインボー」はあります。オープンは月に2日。昼ごはん30食、夜ごはん30食。
ずらりと並ぶカラフルなお惣菜、お魚とお肉のメインディッシュのワンプレートごはん。日によってメニューは変わりますが、家庭的で親しみやすく、栄養価の高い食事をいただくことができます。広めの廊下では子ども達が指揮をとって、わたあめやかき氷など食後のちょっとしたおやつを作ったりしています。
2021年8月に「こども食堂レインボー」は開店しました。店主は『otona MUSE』はもちろん、モード雑誌からタレントのスタイリングまで幅広く活躍しているスタイリスト木津明子さん。売れっ子スタイリストである彼女がなぜ、こども食堂をやってみようと決心したのか。vol.1では、開業に至るまでの過程を木津さんからお話しいただきました。vol.2から、こども食堂へお手伝いに行っている編集・ライター 柿本真希が「こども食堂レインボー」を様々な角度からお伝えしていくことになりました。
vol.9【前編】は、8月7日に1周年を迎え、主宰者である木津さんがずっと力をもらってきたという「サニーデイ・サービス」の曽我部恵一さんに下北沢のPINK MOON RECORDSでお話を伺いました。
木津「私は中学生の時にサニーデイ・サービスに出会って、ずっと聞いているんですけど、曽我部さんの音楽によって育ってきました。私のこども食堂が8月で1周年を迎えたので、激励の言葉をいただきたく今回対談をお願いしました。どうしても曽我部さんに褒めてもらいたいなと思って(笑)。曽我部さんはバンド、ソロ、カフェ、カレー、レコード、と何足もわらじをはいていますが、そのエネルギー源はなんですか?」
曽我部恵一さん(以降敬称略)「今は、自分のプロフェッショナル以外の社会的活動や意見、運動を持っていないと逆に甘いなと思われる社会だと思うんです。音楽家は音楽だけやってればいいという時代では無いと思うし、食堂の経験によってそれがフィードバックしてスタイリングに何かしら生かされたりしているんじゃないかと思うんですよ。そうじゃないですか? お互いに良くなっていく。意味があるものになっていく。だからみんなそういうことを見つけて動いたらいいと思ってます。何をやっている人も、自分が生きている社会との接点を見つけて、どう関わっていくのか、それぞれが考えていく。そしてそれを見つけて、それがまた自分のプロフェッショナルにフィードバックしていくこともある。そういう形ってすごくいいなと思ってます。僕はまだそういうことがあんまり出来ていないと思っているので、実際にやっている人はすごいなと思う」
木津「そうですね、曽我部さんも全てのことが作用しあっていますよね? きっと」
曽我部「作用しあっているでしょうね、おそらく。そもそもスタートから、『お店やろう!』と始めているわけではないんです。仲間内でお店やりたい人がいたりして『それいいね!』と、だんだん具体的になっていったというか。カレー屋もそうだけれど、みんなでいろんなことをチェックしたり運営の仕方とか話し合いながら決めていっていて、その話し合いなどにお金が派生しているわけではないんです。各アルバイトスタッフたちがお店の売上で食べているというだけの話で、僕たち側にあんまり経営しているという意識はなくて。地域の友達の輪の中にいるという感じでお店が出来上がっていき、自分ができることを手伝っているという感覚ですね」
木津「そうしてお店などを続けていく時に目的はどこにあるんですか?」
曽我部「赤字にはならないようにとは思ってはいますけど。目的は特にないです(笑)。カレー美味しいねとか、いいお店だねという感じでずっと続いてきています。ありがたいことに混んでいるのでしょっちゅうは行けないんですけど、たまに行くと美味しくて良い感じなんですよ。そうしていい店だねと楽しくなるというだけで、何か目標を掲げてやっているわけではないんです。でも今後は、地域とか自分が属している社会に対して何か自分がアプローチしてちょっとでもよくできるように何かできないかなぁと、50歳過ぎて考えてます。まだそれが何なのかわからないですけど。今までは歌を歌うことが人のためになるんじゃないか、誰かを心地よくさせたり楽しくさせたりってことが自分の仕事なんだと思っていたんですけど、それだけじゃ足りないのかもしれないなと思い始めていて。歌うこと含めて、それプラス社会に対して何か自分ができるエネルギーがないかなと考えてますね」
木津「そう考え出したのは年齢がきっかけですか? それとも他に何かきっかけがありますか?」
曽我部「今の社会を見ていて、みんなぎりぎりのところで生きているような感覚があるんです。そんな時代になっていて、本当はそうじゃなくていいんだけれど、なぜかみんながそういう方向に向かってしまっている流れみたいなものを感じるというか。そういう部分をもう少し楽にできたらいいなぁと。物理的にも精神的にも。あとは、国に任せていてもろくなことにならないという実感もあって、やっぱり自分達の力で何かできたらいいなと思います。けれど僕は政治的な活動とかではなくて、こども食堂みたいに少し具体的に何か動けたらいいなと思ってますね。自分の年齢のこともあるし、今の時代を見ていても思うんです」
木津「それには子育てやお子さんたちの年齢も関係ありますか?」
曽我部「あるのかなぁ。子どもたちを見ていて、子どもたちにとってすごく社会が整っているかというとそうではないなとは思っています。この中で頑張って生きていってくれというところもあるけれど、自分達大人の力でそこをサポートしてあげれたらいいなぁとも思ってますね。教育のあり方が今の時代と全然合っていないと思うし、もちろん学校は読み書きや計算を教えてくれる場所ではあるとはいえ、学校の教育のあり方には “子どもたちの人生は関係ありませんよ”という部分があると思うんです。子どもたちの人生を誰がどういうふうに責任をもってやっていくんだろう? という部分に、社会のコンセンサスがない。“子どもたちを育てるのはあくまでも親なんですよ”ということなのか、“社会全体国全体で育てる”のか、“ある程度学校も子どもたちの人生に責任を持つ”ということなのか。そこが少し難しいなぁと思っていて。もし親が責任を全て持つのなら、学校行かないという選択もあってもいいし、もう少しそこにはもっと色々なオルタナティブがあってもいいんじゃないかなと思うんです」
木津「子どもたち全員の責任は持てないけれど、身近な子どもたちの人生には食堂みんなで責任を持っていきたいなぁとは思っていますね。でもそれは子どもに対してだけではなく、きちんとお金を働いてくれるみんなにも支払って、働いている人もプラスとなりながら、社会にも繋がり、お金がきちんとまわる仕組みを作っていこうと思って模索していて。ボランティアではなく、地域の子どもたち、働いている人、全員がハッピーでいてほしいと思って日々考えているんで」
曽我部「子どもたちにとっては、今すでにもうプラスになってますよね、きっと。食堂ってご飯屋さんですもんね。ご飯屋さんはまず、来る人にとってのプラスであることを考えますよね。安くて美味しいものが食べられるとか、心地よい空間であることとか。あとは、働いている人にとってのプラス。僕はどちらもハッピーでなければいけないと思っていて。それって社会の縮図みたいなところを表している気がしてます。まずはあくまでもここで働いてくれているアルバイトさんが幸せに働けて、やり甲斐もあると思ってもらえていたら、一人の人の幸せな生活を保障できているってことですよね。そういう目の前のことから動いていくしかないというか。どちらも幸せであるってことがすごく大事でなかなか難しいんですよね。お客さんのハッピーさを優先するとスタッフが辛くなったりね。どっちもハッピーであるという状態をつくるのは難しいけれど、みんながそういう考え方を持ちながらお店を作ったり雇ったり働いたりすればいいんですよね。ただそれを啓蒙したり押し付けるのは無理だから、自分がまずそういう場所を作るということしか無いんですけど。日本ってお金が優先なのか、幸せが優先なのか、愛情や信頼、友情みたいな心が大事なのか、そこを誰も教えてくれず大人になる社会だと思うんです。ヨーロッパって宗教的なものもあるからかもしれないけど、人を助ける、愛を持って人と接する、ということが1番大事なんだよと教わっていける社会だと思うんです。それがまず日本には無いから、大事なのはお金なのかな? 愛なのかな? と思いながら死んじゃうという。アルバイトだって、ある程度のお金渡せばいいんだからって考え方もあると思うんですけど、その働いている一人一人がハッピーであって欲しいと思うんですよね、やっぱり」
〜来月の後編に続く〜
PROFILE
曽我部恵一(そかべ・けいいち)
1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。'90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。'70年代の日本のフォーク/ロックを'90年代のスタイルで解釈・再構築した全く新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象を与えた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。
edit &text & photo : MAKI KAKIMOTO
otona MUSE K