LIFESTYLE

木津明子のこども食堂日記vol.10
「曽我部恵一さんを迎えて〜後編〜」

JR根岸線、横浜駅から約20分の洋光台駅。洋光台駅北団地1街区11号棟ラウンジ(サポートby UR都市機構)に、「こども食堂レインボー」はあります。オープンは月に2日。昼ごはん30食、夜ごはん30食。 ずらりと並ぶカラフルなお惣菜、お魚とお肉のメインディッシュのワンプレートごはん。日によってメニューは変わりますが、家庭的で親しみやすく、栄養価の高い食事をいただくことができます。広めの廊下では子ども達が指揮をとって、わたあめやかき氷など食後のちょっとしたおやつを作ったりしています。 2021年8月に「こども食堂レインボー」は開店しました。店主は『otona MUSE』はもちろん、モード雑誌からタレントのスタイリングまで幅広く活躍しているスタイリスト木津明子さん。売れっ子スタイリストである彼女がなぜ、こども食堂をやってみようと決心したのか。vol.1では、開業に至るまでの過程を木津さんからお話しいただきました。vol.2から、こども食堂へお手伝いに行っている編集・ライター 柿本真希が「こども食堂レインボー」を様々な角度からお伝えしていくことになりました。 vol.9【前編】は、87日に1周年を迎え、主宰者である木津さんがずっと力をもらってきたという「サニーデイ・サービス」の曽我部恵一さんに下北沢のPINK MOON RECORDSでお話を伺いました。今回は盛り上がったトークの続きをお届けします。
木津「私はスタイリストという本業もそうですし、こども食堂も同じですが、仕事をする上で、120%でやってやろうという気持ちがいつもあるんです。そうして働く人たちももっと楽しくなって欲しいし、そうしているうちにみんなでヴィジョンが見えていったらいいなぁと」 曽我部恵一さん(以下敬称略)「僕もそう。どちらかというと、何か仕事をもらったら120%で戻したいと思っています。でも、お互い色んな人と働いているじゃ無いですか。そういう人たちみんなに自分が良いと思う仕事の仕方みたいなものを押し付けたいとは思ってないんです。あんまり働きたく無いんだよ、自分が心地よい時間を過ごしたいんだよな〜って人もいますよね。そういう人は排除ねって、したくないんです。そういうふうに考え方や働き方が違う人のことも、各自が自分のサークルの中に入れていたら、人を認められる社会になるんじゃないかなと。昔は自分と同じくらいのパワーでみんな仕事してもらわないと困るって思ってたんですよ。そんなのは選民主義的な考え方なんじゃないかと気付けて。怠け者だとしても、その人が一緒に仕事をできるようなチームじゃ無いとダメなんじゃ無いかなと今思ってるんです。それが今後の自分の仕事のあり方のテーマかもしれないですね」 木津「そうですよね。自分が正しいって思ってしまいがちですが気をつけなきゃ。自分の輪の中に入れることって本当に難しいかも」 曽我部「そこから学ぶものってあるし、そうじゃないと社会はだめだと思うんですよ。怠け癖があったり苦手なことがあったり、そうして色んな人がいるのが社会なんだから。一緒に何をみんなで与え合いながら生きれるか、それがすごく大事なことであり、日本人が苦手なこと。全てランクづけになってしまっているというか、それって本当につまんないですよね」 木津「本当にそうだなぁ。自分が頑張っている時に同じ気持ちじゃない行動を見るとイラッとしてしまう時もあります。そういう曽我部さんの考え方って、社会はもちろん、チーム作りに大事なことかもしれない」 曽我部「理想はね、じゃあ一緒に怠けるか! みたいなね。俺も怠けてみようかな、みたいなことができたら、それが素晴らしいチームなんじゃないかな。だって犬を飼っているので、よく見てますけど、だらだら怠けてますよ。生きるってそういうことなんだろうなって。ご飯食べて寝て散歩行っていえーいみたいなね(笑)。ご飯食べてうまい! 眠いから寝る! みたいな。本当はそういうことを優先しながら認め合える世界が、1番美しいと思うんですよ。もちろん仕事するとか生活の糧を得ることは大事だし、犬みたいに暮らせないんだけど、本来はそうなんだとみんながどっかで思っていたら仕事とかももう少し考え方が変わってくるかもしれないですよね。でも社会の向いている方向は「お金を貯めましょう」「資本を増やしましょう」など真逆ですよね。それって恐ろしいことだなと思うんです。置き去りにされてしまう人たちが増えていく。こども食堂って置き去りにされていることに対する動きじゃ無いですか。それってすごく大事だと思う。自分達でなんとかするんだと動くこと、それって大事ですよね。こういうことをみんなで考えてそれぞれが動いていく、それしか未来はないような気がするんです」  
木津「曽我部さんはどういうお父さんですか?」 曽我部「全然だめですよ。親としてだめだなーといつも思ってます(笑)。朝ご飯つくるとか普通の親がやることが出来てないですから。社会に、固定した父親像とか母親像のイメージを作らないで欲しいなぁとも思ってます。色んなのがいるぞってことにしておいて欲しい。家族ってこういうんじゃないよねって思われたりしたら本当に困る。色々な親、色々な家族があるんです。それでいいと思うんですけどね。さっきの話と同じで、色んな人がいてそれを認め合っていける社会になるといいなと。それぞれ様々な価値観があって、それをみんなが俯瞰で見ながら選べたらいいと思うんです。ただ、今の世の中にはようやく多様性が生まれてきたとも思ってます。こんな風に楽しい価値観もあるよ〜みたいに言い合えるようになってきた感じがしますよね」 木津「固定したイメージを作って、それに向かって全員が苦しんでるっていう形にだけはなりたくないですね。それぞれが目指すところや大事にしたい部分は違っていいんですから」 曽我部「そうなんですよね。1番大事なのは、みんなが楽にリラックスして生きていられているかどうか、だと思うんです。笑顔と美味しいご飯があればそれでオッケーってところが自分にはあるんですよね。僕自身は将来のことを考えろと言われながら育ったんですが、どこかに『将来って何?』『今日楽しかったらいいじゃん』みたいな感覚が常にあって。『音楽もいいけどそれは趣味でやって、仕事して生きていくことが大事だから』と教わってきたんですが、生きるってそういうことなのかな? お金稼ぐことなのかな? とずっと疑問だったんです。その疑問を実践してるという感覚がずっとあります。逆にもっと自由に育てられたら、また違ったのかもしれないですよね。一般的な価値観みたいなものが目の前にあったからこそ、そこに対する疑問や反発が生まれたのかもしれない」
木津「曽我部さんが社会とどう関わっていくか、そこを考え出したのはいつごろからですか?」 曽我部「ここ1、2年かなぁ。こども食堂とかそういう活動を見て、何かできたらなぁと。そして見落とされていく人たちがまわりにもいて、ひょっとしたら自分達もそうかもしれないし、そういう人たちのために何か出来たらなぁと思っているんです。自分ができることってなんだろうと模索中ですね。そう思って今みたいに声に出していくことで、これってことに出会うんじゃないかなぁと思ってます。探していることは、ボランティアってことなのかなぁ。自分の忖度というか、仕事に何か意味があるからとかでは全くなくて、単純に今この社会に生きている人間として何かしたいってことなんだと思います。うん、自分が持っている経験やスキルを持って、ボランティアがしたいと単純に思っているのかもしれない」 木津「ボランティアって難しいんですよね。やっぱり上下みたいな関係が出来てしまったりするというか。それでこども食堂は(スタッフに)お金を支払うようにしているんです。どうしてボランティアってなると難しくなるんでしょうね」 曽我部「そうなんです。まだボランティアという概念が日本の世の中には浸透していないのかもしれないですよね。助け合うことが普通になるという事が、なかなか日本は難しいんだと思う。もちろんそんな社会が変わっていくといいと思うけれど、まずは自分が変わっていくしかないんだろうなと思ってます。なんでも海外が正しいわけではないんですけど、声をかけたり助けるってことがわりと当たり前な世界がヨーロッパなどにはあるんですよね。それって文化の強度が違うなぁと思うんです。見た目とか音楽性とか、文学を真似したところで、強度が全然違うなぁと。芯にある、形のない愛とか人に対する優しさみたいなものが日本には少ないから、日本は強度が弱いって思っちゃうんですよね」 木津「すごく分かります。ジェントルマンであるということを当たり前にやってきた人たちってやっぱりすごいなぁと、娘とニューヨークに行った時に思ったんです。そういう風に格好つけて生きていきたいなって思って、それ以来そこをすごく心掛けて生きてきています」 曽我部「そうですよね。そこがあればそれでいいと思うんですけどね。ロックってそういう文化の中から出てきたもので、会場と演者がファミリーみたいに愛に包まれるものを作り上げていくんだけど、日本人って会場でたら挨拶もしないような文化だったりもして。その文化の中で一体化というと形式的なものになってしまうと思うんです。音楽によってもっと奇跡的なものが起きてほしいなって思うんですけど、それにはまず日々の生活から変えていかないとそこには到達できないんだろうなと思ってます」
木津「世の中に役立っていくことを考える時、音楽の力のことも考えますか?」 曽我部「音楽に関しては役立っていくという話とは少し違って、聞いてくれて何かを感じてくれるのが純粋にありがたいこと。自分が誰かの為に役立とうと思って音楽をやっているわけではなくて、自分が好きなことをただやっているんですけど、自分も人の音楽によって力をもらったりするので、そういう関係性はありがたいし素晴らしいなって思ってます。ただそういうことはボランティア精神みたいな話とは別の話で、音楽とは別に、そういう心を持たないといけないんだろうなと感じています。こども食堂は理想的なことをやってるなぁと思うんです。もちろん理想が定着していくことが1番いいと思うけれど。きっと、今のこども食堂みたいに、自分達が手の届く範囲でやっていくってことがとても大事なんじゃないかなぁ。まずは目の前のこの子たちが幸せになればいいと考えてやっていけばいいと思うんです。そのサイズ感をずっとキープできていれば、連鎖していくんじゃないかなと。本当に頑張ってください。それしか言いようがないんですけど。僕が何をするのか模索し続けていくし、こども食堂を心から応援しています」 PROFILE 曽我部恵一(そかべ・けいいち) 1971826日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。'90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。'70年代の日本のフォーク/ロックを'90年代のスタイルで解釈・再構築した全く新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象を与えた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。
曽我部恵一さん公式HP

edit &text & photo : MAKI KAKIMOTO

otona MUSE K

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