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渋佐 和佳奈

真面目さと協調性。【NBAダンサー】寺田智美さんに聞く、アメリカで見つけた「日本人の強み」とは

保険会社勤めから世界へ 夢をあきらめず20代最後の挑戦

智美さんがチアを始めたのは高校1年生のとき。大学まで競技チアを続け、卒業後は保険会社に勤務しながら社会人アメフトチームでチアリーダーを務めていました。

 

30歳を前に、趣味としてチアを続けるにはそろそろ区切りかなと思っていたころ、NFL(アメリカンフットボールリーグ)のチアリーダーに挑戦する先輩の姿を見て、一度でいいから本場で自分の力を試してみたいと心が大きく動かされました。しかしNBAダンサーオーディションの倍率はおよそ20倍。300400人の応募者から選ばれるのはわずか16〜20人という狭き門です。

 

その難関に初めて挑んだ2016年、智美さんは見事、合格。けれど、あまりに時間がないなか受けたことでビザの取得が間に合わず、結局このときは夢の舞台には立てませんでした。しかしアメリカでも自分の力が通用することを確信した智美さんは、その1週間後には職場の上司に「今年度末で退職します」と伝え、再挑戦を決意します。仕事を続けながら英語をゼロから学び、ダンススキルを磨き直して迎えた翌年。名門「スパーズ」のチームに合格、念願のNBAダンサーとしての人生が始まりました。

スパーズ時代、仲間たちとNBAコートに登場する瞬間。NBAダンサーのかっこいいパフォーマンスをぜひ会場で見ていただきたいです!

夢にまでみたNBAのコートで初めてパフォーマンスした瞬間、約2万人の観客の熱気とアリーナ全体の高揚感に、思わず涙が止まらなかったそうです。私自身シカゴにいた際、アリーナの中心で輝く智美さんの姿を見たことがあるのですが、とにかくかっこよく、同じ日本人として胸が熱くなったのを鮮明に覚えています。

 

しかし、華やかな姿の裏で、突然の試練に心が挫けそうになったことも。ようやく夢を手にした1年目のシーズン終盤に、チームから突然ダンス部門の解体を告げられ、思いもよらぬかたちで居場所を失うことになったのです。それでも、「まだ挑戦できるチームがある」と支えてくれた仲間の言葉を胸に挑戦を続け、キャバリアーズに移籍。4シーズンのうち3シーズンはキャプテンとしてチームをまとめ、さらに2022年にはブルズへ。 日本人として3チーム・7シーズンを経験した唯一のNBAダンサーとなりました。異国の地でチームには日本人ひとりという状況で、どのように信頼を得ていったのか……そこには智美さんがつねに大切にしている2つのことが関係しているように感じました。

超満員のアリーナの中央で観客を魅了する智美さん。

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text:WAKANA SHIBUSA

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渋佐 和佳奈

渋佐 和佳奈

渋佐 和佳奈(しぶさ わかな)/宮城県のテレビ局で3年半、WOWOWで5年間アナウンサーとして勤務し、2022年4月からアメリカ・シカゴで2年間生活。長年スポーツに携わり、シカゴでもメジャーリーグ・シカゴカブスのリポートを経験するなど、現在も日本でフリーアナウンサーとして活動中。SNSでは趣味のスポーツ観戦や暮らしぶりを投稿している。

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