サーファーからゴルファーへ!? モデル・岩堀せりの「スポーツ遍歴」が意外なほど華麗だった

ロサンゼルスに移住して8年。オトナミューズウェブでは毎月、モデル・岩堀せりさんの最新のファッション事情や近況、気になるアレコレをお届けしています♥ 第12回は秋ということで、スポーツにまつわるお話。実は小さいころから運動神経バツグンというせりさん。華麗なるスポーツ遍歴、そして大人になってもスポーツがとっても身近にあるせりさんの、最近ハマっているスポーツまでご紹介します。
CONTENTS
【vol.12】「実は運動少女だった私が、大人になってハマったスポーツとは……?」
幼少期:運動神経はいいほうでした
私、運動神経はわりといい方なのではないかしら、と自負しております。小学校のときからとにかくよく走る子で、授業の中でも一番好きなのはもちろん、体育。
当時、私が住んでいたのは熊本の田舎だったので、運動会は毎回一大イベント。親や地域の大人も参加し、学校の枠を超えて町全体で盛り上がる行事でした。そんな運動会の花形競技・リレーは地域対抗戦なのですが、町内代表として毎度リレーの選手に選ばれていましたし、全校生徒が参加する縄跳び大会でも最後まで残るなど、どの競技でもまあまあな成績を収めていた記憶があります。ちなみに、球技だとドッジボールが好き。バスケのような、イケイケの性格の人が多そうな競技はあまり得意ではなかったかな(笑)。
そして、小学校のときは「いつかサッカー選手になりたい!」と思っていました。当時、漫画の「キャプテン翼」が流行っていて、もちろん私も愛読者。大いに影響されて誕生日はカラーボールを買ってもらい、家の前の壁を相手に一人でずっとボールを蹴って遊んでいました。サッカーチームにこそ入らなかったものの、サッカーにはどハマりしていましたね。ちなみに、私はキャラクターでいうと岬(太郎)くんが好きでした♥
そんな小学校時代を経て横浜にお引越しをした中学校では陸上部をメインに、ハンドボール部にもかけもち入部。陸上で選んだ種目はハイジャンプでした。熊本時代はそこそこに足が速かったのですが、横浜にはさらに足の速い人がたくさんいて、挫折を経験……。でも、選手が足りないからと砲丸投げで大会に出場したこともあります。背筋と肩が強かったのと、砲丸投げは競技人口が少なかったこともあって、ちょっと練習して大会に出たら3位に! そんなふうに日が暮れるまで部活に明け暮れ、真っ黒に日焼けする。スポーツ一筋の中学生でした。
interview & text:NIRAI IKESHIRO
photograph:SERI & FAMILY,FRIENDS
EDITOR
37歳、輝く季節が始まる! ファッション、ビューティ、カルチャーや健康など大人の女性の好奇心をくすぐる情報を独自の目線で楽しくお届けします。












