新人時代の恩師と再タッグ「いまが一番楽しい」20年で辿り着いた場所【菊地凛子さんインタビュー】
菊地凛子さんが主演を務める新作『658km、陽子の旅』は、凍てつく冬の東北地方を旅するロードムービーなのですが(観ている我々まで震えてしまうほど!)、今回のカバーストーリーでは一転、ヒロイン“陽子”の名の通り、陽光輝く都心の公園でロケを敢行。溢れる緑とキラキラした光に囲まれた、凛子さんの美しき初夏のポートレートをどうぞ。
ここまで監督とフィーリングが
ぴったり合う経験は初めてでした
—本作を手掛けた熊切和嘉監督とは、01年の『空の穴』以来約20年ぶりのタッグですね。
「『空の穴』は私にとって初めて役名がついた役で、熊切監督も劇場デビュー作でした。そこから20年が経ってオファーしてくれたことだけでもお受けするには十分でしたし、脚本を読む前からやりがいを感じていました。撮影が始まってからも、熊切監督とは20年ぶりなのにずっと一緒にやっていたような気がするぐらい、お互いのやりたいことが以心伝心でした。お芝居はやっぱり感情を使うので、『こうしたい』が分かっていてもそこに辿り着くまでに時間がかかったり苦労したりすることはつきもの。でも今回は演じながら私が『これは違う』と思ったら監督も同意見で、自分が『これだ!』と思えたら監督の『OK』をいつも聞ける貴重な嬉しい撮影期間でした。ここまで監督とフィーリングがぴったり合う経験は初めてでしたね」
—作品を拝見して菊地さんの役への入り込みが凄まじいと感じたのですが、熊切監督との信頼関係も大きかったのでしょうね。
「これは私の感覚ですが、演出を受ける際に『こういうことがあったからこうなったんだよ』と細かく説明されると、役者としては演技や役の枝葉は作りづらくなってしまうこともあるんです。でも熊切監督はこちらを信頼してくれて、矢印や方向性を提示しつつ、ゴールまでどう辿り着くかはこちらに委ねてくれました。また、今回演じた陽子が抱えている課題はそもそもみんなが持ち合わせているものでもあると思います。彼女はさまざまな要因から心を閉ざして引きこもっていた人物ですが、些細なきっかけで前も後ろも見えなくなり、そこにとどまってしまう瞬間は誰にでも訪れるもの。それがひどくなると誰かと接したり、自分の中で社会と折り合いをつけて外に出たりすることができなくなっていきますが、始まり自体は身近なものだと思っています」
—陽子の過去は劇中で直接的には描かれませんが、それでも彼女の内面がしっかりと伝わってきます。
「『658km、陽子の旅』は、過去にとらわれていた陽子が自分と向き合わざるをえなくなる姿を描いています。そのためには、彼女の過去をちゃんと肉付けしておく必要がありました。過去に蓋をしているということは、見ないようにしているだけでずっとそこにあるわけですから。しかもそこに付随する気持ちは一元的なものじゃないので、自分の中でとことん考えて立体的にしていきました。たとえば父親(オダギリジョーさん)に対しても、愛情や相反する気持ちなど色々な感情が42歳の現在に至るまで陽子の中で積み重なっていて、それが旅の中で剝がされていくわけです。そこで哀しいという一側面だけでなく、多面的な感情を見せられたらと思っていました」
—陽子は父親と20年以上断絶していたという設定ですから、きっとひと言で説明できないくらいさまざまな感情が渦巻いているでしょうし……。
「人が前に踏み出すときって決して美しいものじゃなくて、生々しくて不格好なものもあると思うんです。陽子の場合はなおさらぐちゃぐちゃでかっこ悪くありたいと考えていました」
ちゃんと筋道を立てて役を考えて
形にできる年齢にやっとなった
—サービスエリアでヒッチハイクをするシーンなど、印象的でした。対人恐怖症気味なのに見ず知らずのドライバーに「乗せてください」と頼むのは、相当勇気がいるだろうなと。
「望まないコミュニケーションは彼女にとっては暴力だけど、それがないと目的地の青森まで向かえないからややこしいですよね。サービスエリアは目的地がある人が集まる場所ですから、家という〝箱〟から出たばかりの女性がそこにいるだけで置いていかれる気持ちになるのは当たり前だとも思います。みんな前に向かっているのに、自分だけ後ろ(過去)に引っ張られているって……。でも、その荒療治に無理やり向き合ったから行き着けるところもあるんですよね。やっぱり人って、自分と他人の間で起きていることでしか成長しないし、生きている実感を持てない生き物なんだと思います。摩擦を起こすために外に出るといいますか、人と触れ合うことで予定調和に終わらなくなり、成長が訪れる。『658km、陽子の旅』は人とのかかわりなくして生きていけないということを教えてくれる、すごく面白い作品になりました」
—本作には、『バベル』(06)で組まれたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(※米アカデミー賞監督賞に2度輝いたメキシコを代表する名匠)もコメントを寄せています。菊地さんご自身は、この20年で演技への向き合い方に変化はありましたか?
「すごく変わったと思います。ちゃんと筋道を立てて役を考えて、形にできる年齢にやっとなった感覚がありますし、やっといま楽しいと思えるところまで来たという風に思っています。私が『バベル』でイニャリトゥ監督と仕事をさせていただいたときみたいに、若いときの瞬発力や熱量でできることはたくさんありますし、勢いの中にある雑さも魅力的だと感じますが、最近はキャリアだけじゃなくて実人生を大事に生きていくことも同じくらい重要だと考えるようになりました。いまは日常が何より大事と思っていますが、そういう状態になると役を理解していく気持ちが育まれていくんです。長く生きて人生経験が増えるほど、人間に対する理解は深まるものですよね。もしいま『バベル』に出たらあのころみたいな芝居はできないけど、きっと違うやり方を見つけたはず。そう考えると、年齢を重ねていくのが楽しいですし、これからはさらにいまが一番楽しいと思えるんじゃないかなと期待もしています」
—本作は、菊地さんご自身の表現者としての〝旅〟にも重なってくるところがありますね。
「旅って、最終的に帰る場所が絶対に必要だと思います。この〝帰る〟は、場所というよりも心のよりどころとなる存在のこと。旅行から帰ってくるとやっぱり家が一番と思いますよね。あれって、やっぱりここが私の居場所だと感じられるからなんだと思います。それを含めて“旅”というんでしょうね。私自身この20年を振り返ってみて、さまざまな時間がありましたが、こうして熊切監督とまたご一緒できて続けてきてよかったなと思えたことがすごく嬉しかったです」
photo_SAKI OMI[io] styling_BABYMIX hair_HIROKI KITADA make-up_RYOTA NAKAMURA[3rd] model_RINKO KIKUCHI interview&text_SYO
otona MUSE 2023年8月号より