穏やかな時間にいつもとは違う景色がある。それくらいが心地よく、最高の旅なのだ。【風間ゆみえ連載】
久しぶりに会ったゆみえさんは、少し小麦色になった肌と開放感に包まれた雰囲気が印象的。 「お休み中に何かいいことでも?」そう聞くと、楽しそうに旅の話をしてくれました。
退屈のその先へ—。
正直なところ、私はずっと退屈だ。「え? 退屈? ずいぶんと忙しそうだけど……」人にそう言われるのも無理もない。
確かに私は全く暇ではないし、やることに追われながら泣き言さえこぼしている。とはいえ、明らかに私は幸せで、健康で、恵まれている。そう思えているので、毎朝、知人に教えてもらった手順をふんで感謝を伝えている。誰に? と聞かれると、神さま? その存在はそれぞれの心(神)に宿ると考える私は、自分に関わる全てにとでもいうべきか。50年もそういった習慣を持ったことがないのに、これがどういうわけか、一日の始まりにちょっとした知的な行いにも思えて気持ちよいので続けている。
この休暇を決めてすぐに、次の連載の撮影予定時期まで旅に出ている私のスケジュールを配慮してくれた編集者が、旅の日記を読みたいですと提案してくれた。けれど、旅とはいえ、行き帰りのチケットをおさえただけの中身は空っぽの旅に、誰かの期待が入り込み、それに応えようと思う私の気持ちが上手く折り合えるのだろうかと悩んだまま飛び立った。3週間のバケーションは人生で初。一番長いお休みの記憶は新婚旅行と入院(笑)。先ほど空っぽの旅と言ったのは何も予定をしていないからで、旅が終わるころには空っぽではなく、カメラロールにも旅の軌跡が残されていく。特に何かをしようと考えて旅立ったわけではないけれど、近ごろの旅は、私にとって特別じゃない、特別な旅。それは、家の玄関がいつもと違う、いつもの暮らしがないけど、いつもの暮らしをしている、ちょっとした違和感が心地よい旅で、これが退屈な私を楽しませてくれている。
photograph: YUMIE KAZAMA
otona MUSE 2024年11月号より