穏やかな時間にいつもとは違う景色がある。それくらいが心地よく、最高の旅なのだ。【風間ゆみえ連載】
そんな旅の始まりのドイツでは、行き慣れないスーパーでお米ひとつ探すのにも手間がかかる。変わらないのは見れば一目でわかる野菜コーナーくらい。缶詰、瓶詰めや調味料などのコーナーなんかはほとんどがドイツ語で、翻訳機を使いながらお買い物をするわけで、とんでもなく時間が費やされる。それでも、私は急いでいないし電波状況のよくないスーパーのなかで、場所によっては応答しなくなるiPhoneを手に気を荒立てることもない自分に嬉しくなる。
週末にはクロアチアの古都、ザダルへ出かけた。荷物はコンパクトにして行こうと持ったのは、小さなバッグひとつ。その中に水着は見当たらず、ワンピースが一枚。要するに忘れたわけで(笑)。34℃を超える日中は、照りつける真夏の太陽の下を無邪気に歩くことよりも、プールサイドでクロアチアのビールを飲みほろ酔いを楽しむことに。週末の一泊の時間をただのんびりと過ごすというのも、考えてみるとずいぶんと贅沢なこと。日差しの勢いも少しは和らいだ夕暮れ前に旧市街を散策。ヒッチコックに世界一の夕陽だと言わしめたアドリア海のサンセットは、海岸沿いに人の波を作ることは間違いないだろうと、サンセットクルーズを予約した。時間になると陽気なおじさんが声をかけてきて、君たちはラッキーだな! 今日は貸切だ。先週は満員だったんだ、こんなにもバカンスの人たちで盛り上がっているのに他に誰もいないなんて! 嬉しい反面、ちょっとおじさんの船は大丈夫かしら、なんて思ったりもして、ごめんなさい……。そう心のなかでお詫びしたほど、この夏を思い出すときはこの瞬間だろうなと思える素敵なクルーズだった。夕陽はあっという間に沈んでしまうけれど、沈んだ後に残るオレンジ色が次第に溶けて赤く滲んで、ほどなくアドリア海の深い青色に溶け込んでいく。私はいつもカメラにその瞬間を捉えたいとシャッターを押すけれど、写真におさめられた美しき世界はまた別の世界だと伝えたくなる。
photograph: YUMIE KAZAMA
otona MUSE 2024年11月号より