CULTURE

━━━断食は失恋とも少し似ている。作家LiLyによる完全書き下ろし小説「媚薬と天然石」 vol.2【セルフラブ】

━━━あと何日たてば、自分で自分を愛しきれるか。作家LiLyによる完全書き下ろし小説「媚薬と天然石」 vol.2【セルフラブ】

「まずは自分で自分を愛さなきゃ」って書いてあった自己啓発本ならとっくに捨てた。━━━ 全く簡単ではない、セルフLOVE。小誌でもおなじみの人気作家・LiLyさんによる“セルフラブ”をテーマにした、完全書き下ろしの短編小説をお送りします。━━━ あと何日たてば、自分で自分を愛しきれるか。 失恋を経て生まれ変わる、カウントダウン小説。

vol.1はこちら

「媚薬と天然石」

4日経過 >>>>

 日付が変わり、私はまだ眠れない。パンティの上から触れている指を離すこともできないのに、中に入れる気にもなれなくて、もう数時間ずっと同じ体勢のまま、私は自分を持てあます。自分では満たしきることのできない心と身体と、まだ始まったばかりの長い夜を私は一人で丸ごと持てあます。
 耐えきれなくなってベッドを出て、わざわざコンビニまで行ってチョコレートバーを3本も買って一気に食べてしまった。深夜の暴食なんて10年ぶりくらいのことで、全てのバランスが崩れるほどに乱れてしまった自分が悲しくってたまらない。

>>>>> 5日経過

「時間薬」と書いてトキグスリと読むらしい。
 失恋関連の記事を読み漁ったことで得た知識。どんなに酷い失恋も、最終的には時間が解決してくれるってやつだ。むしろ、それ以外にはないですよってやつ。
 でもそれって、血だらけの状態でやっとの思いで病院にやってきた患者に「大丈夫ですよ~、1カ月も経てば痛みは軽減しますから~」って言っているようなもの。いやいや、それまでに使う痛み止めをくれって言っている!!

一分一秒、時が経つのを耐え忍んでいる間に使える即効性の高い強いクスリを求めている。
━━━なにがトキグスリだよ。酷い。

6日経過 >>>>>>

 性欲には波があるけれど、一度押し寄せてきた波には逆らうことなどできなくて、仕事中であっても容赦無く身体は疼き、夜はどっぷりと呑み込まれる。ベッドの中で私は、つかまるところのない海でもがき続けている。
 こんなにも強い性衝動が自分にあったことに驚いている。初めてだということはつまり対処法を持っていないということ。
 枕に顔を深く埋めてうわぁと大きな声を出す。涙よりも先に、こんな声が身体から漏れ出るなんて、私は一体どうしちゃったのだろう。
 また食べたくなってくる。濃厚なチョコレートを口の中いっぱいに入れたくなってくる。だけどそれだけは絶対にしたくない。他の男の人で手を打とうか。そんな都合の良い相手などいないけれど、彼と出会う前に一度デートをしたままフェードアウトしていた人に連絡をしてみようか。━━━なんて、考えたそばから無理だと思う。
 好きな人としかできない、とか一途だとか、そういうことではないように思う。彼に抱かれるところまでのステップを、3カ月もの時間をかけて着実に踏んでいたからだ。日々連絡を重ね、二度のデートを重ね、あとほんの一歩でキスをする、というところまでいっていたからだ。
 だけど、彼はパッと消えた。まるで最初から存在などしていなかったかのように、パッと煙に包まれて完全に私の日常から、人生から、跡形もなく消えてしまった。
 永久放置だ。ピークに達しつつあった彼への欲情で火照った身体に、彼のために買ったシルクのランジェリーを身につけた状態で。
 なんて、エグい仕打ちだろう。枕の中で絶叫して、声を吸収させながら足をバタつかせている私はなんて哀れなのだろう。

彼を発端にして引火した欲望は他の人では満たせない。

 人は魅力でしか縛れないって、こういうことなのかと妙に納得しながら絶望し、私はパンティの中に指を入れた。そこはすでに熱をもった状態で潤んでいて、自分の細い指なんかでは、なにもかもが足りない。
 深夜のコンビニ。チョコレートは我慢した。菓子パンを二つも食べてしまった。

>>>>>>> 7日経過

━━━あと何日たてば、自分で自分を愛しきれるか。作家LiLyによる完全書き下ろし小説「媚薬と天然石」 vol.2【セルフラブ】

 朝起きて鏡を見たら、頰に大きなニキビができていた。久しく使っていなかったコンシーラーを取り出してなんとか赤みは消したけれど凹凸は隠せないし、ニキビのまわりが丸く粉をふいたようになっている。今日は打ち合わせがあってクライアントにも会うのに、最悪だ。深夜の暴食だけは何があってももうしない、と自分に誓う。

9日経過 >>>>>>>>>

 会社から帰宅してから寝るまでの時間が怖くなっている。深夜のコンビニだけはなんとか堪えているけれど、頰のニキビは我慢できずに昨夜つぶしてしまったのですっかり化膿して真っ赤になっている。
 失恋話を誰かに話す気になれないところは変わっていないけど、余計に誰にも会いたくなくなってしまった。

自分で自分をなんとかすることのあまりの難しさに頭を抱えている。

 どうしたって考えてしまう。彼から聞いた私を切らざるを得ない理由と、今私がこうしている間にも彼が送っているであろう彼の生活について、どんなに嫌でも繰り返し考えてしまう。彼の隣にいる女性の姿を想像してしまう。もし、出会う順序が違ったら、私がその人の場所にいたのだろうか。
 頭の中がグチャグチャになっていく。胸が苦しくなってくる。自分の思考から逃げるため、たいして興味もないインスタグラムをスクロールし続けている。ここ1週間の私の検索ワードの履歴からか、自己啓発系のアカウントが頻繁に表示されるようになった。
「まずは自分で自分を愛さなきゃ」って書いてあった自己啓発本ならとっくに捨てた。「恋をした時だけだよ、心の位置を掴めるのは」って書いてあった恋愛小説も一緒に断捨離した。
 捨てなきゃ良かったとは思っていないけれど、もし今もまだ手元にあったら読み返していたかもしれない。この1週間で、ネットの中に無数に散らばっている失恋関連の記事を、知恵袋の質問と回答までをも含めて全て読み尽くしてしまったような気がしている。
 見たことがないカタチをしたピンク色の天然石が目に入り、ストーリーズをスクロールしていた指が止まった。海外のブランドの広告で、それはローズクオーツでできたディルドだった。すぐにリンク先のURLに飛んだ。英語のサイトだったので少し気後れしたが、トップに大きく描かれたSELF-LOVEの文字にシンクロニシティを感じ、わからない英単語をネット検索しながら夢中になって読みすすめた。
 セルフプレジャーの方法として、運気を上げるエネルギーを持つ天然石を膣の中に入れながらの瞑想を推奨していた。石にオーガニックのココナッツオイルをたらしてからゆっくりと挿入し、目を閉じてリラックスしてからゆっくりと動かすことで、セックスでは経験できない種類の新しい快楽をもたらしてくれる、と読んだところでコレだ、と思った。値段を確かめる前に、日本に配送可能かどうかが気になって仕方がない。手に入れられなかったらどうしよう、と怖くなるほどに。
 そこから数分もかからずに購入できてしまった。インスタグラムに登録済みの個人情報はワンクリックで反映されたし、「£」がどの国の外貨なのかもピンとこぬままにPayPal決算をクリックすると、すぐに「Succeed! THANK YOU!」と表示された。
 発送元はイギリスで、7日後に自宅に届くらしい。
 値段も確かめずに何かを買ったのは初めてだったけれど、計算したら送料と関税費込みで2万円しなかった。ホッとしたらイイことを思いついて、アマゾンのサイトへとすぐ飛んだ。
 値段がネックでカートに入れっぱなしにしていた酵素ドリンクセットを遂に購入した。そちらはなんと、今夜には届くらしい。14本入りで3万円弱するけれど、準備食と回復食としてのお粥のレトルトも2パックついている。
 今日の夕食にお粥を食べて、明日からは酵素ドリンクのみで1週間のファスティングを開始する。無事に全てのデトックス過程をクリアして内側からピカピカになった頃、イギリスから特別な天然石が届く計算だ。
 目の前の完璧な計画に胸がワクワクしはじめて、失恋後初めて「楽しみ」ができた。それは、「1週間後の自分」。きっと今よりは気持ちもマシになっているはずだし、頰のニキビもきっと治っている。すべての過程をやり遂げて、新しい快楽を迎え入れる準備を整えた「来週の自分」に、早く会いたい。もしかしたら、彼よりも会いたい。━━━そう思えたことで、すでに救われたような気持ちになっている。

>>>>>>>>>>>>>>>>> 17日経過

 イギリスからの小包は、予定より1日早く到着した。会社帰りに自宅マンションのポストの中に見つけた不在票を握りしめ、部屋の前に着くより先に翌日の再配達予約を済ませた。
 酵素ドリンク以外を口にしないファスティングも、明日で終わる。固形食をずっと食べていないので、お粥が楽しみで仕方がない。
 断食は失恋とも少し似ていて、当日から3日目までが最も辛かった。習慣を一気に変える作業は苦痛を伴うけれど、やっぱり人間は慣れるという能力も持っているのだと実感する。
 仕事が忙しい時期とが重なったのは計算外だったけれど、なんとか頑張れている。少しフラフラするのでピラティスはお休みしているけれど、取り入れるエネルギーが不足しているからなのか性欲のほうも落ち着いているのでたすかっている。それに、頰のニキビはすっかり完治し、肌の調子がすこぶる良い。それだけで気分は全く違う。
 近々、親友に連絡しようと思っている。会いたいし、話したい。

LiLy_作家。蠍座。N.Y.、フロリダでの海外生活を経て上智大学卒。2児の育児に奮闘中。小誌で「ここからは、オトナの話」を連載中。

LiLyさんのInstagramはこちら

次回に続く。

otona MUSE 2023年7月号より

CULTURE TOP

SHARE

  • x
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • LINE

Pickup

Weekly ranking

VIEW MORE