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━━━あと何日たてば、自分で自分を愛しきれるか。作家LiLyによる完全書き下ろし小説「媚薬と天然石」 vol.1【セルフラブ】

━━━あと何日たてば、自分で自分を愛しきれるか。作家LiLyによる完全書き下ろし小説「媚薬と天然石」 vol.1【セルフラブ】

「まずは自分で自分を愛さなきゃ」って書いてあった自己啓発本ならとっくに捨てた。━━━ 全く簡単ではない、セルフLOVE。小誌でもおなじみの人気作家・LiLyさんによる“セルフラブ”をテーマにした、完全書き下ろしの短編小説をお送りします。━━━ あと何日たてば、自分で自分を愛しきれるか。 失恋を経て生まれ変わる、カウントダウン小説。

「媚薬と天然石」

「キライなもの? うーん、誰もがそうだと思うけど、スマホのアラーム音?」って言ったら、「ちょっと貸してみ」って私のスマホを取り上げて、あっという間にオルゴールが鳴るように設定してくれた。
「サザンにしといた」「え、大好きなんだけど」。誰もが好きだと思うのに、彼とは相性がいいのかもしれないって思いかけた。つまりは、バカがつくほど浮かれてしまった。目尻を下げて微笑む横顔、見惚れてしまった。
 まだ肌寒い春の夜のことだった。「今日は晴れててよかったね」って彼が言って、微笑み合ってバーカウンターに並んで座ったファーストデート。
「仕事が繁忙期」だという彼との次のデートが叶った頃には、桜はすっかり散っていた。でも、その間も連絡は毎日続いていたし、前回と同じバーカウンターに座った彼が私に気づいて笑顔を見せた時にはもう、私の中の「好き」は揺るがないものになっていた。目を合わせることも恥ずかしくなってサッと隣に腰をおろしたら、「やっと会えて嬉しいなぁ」って独り言みたいな小さな声で彼が言った。
 どこまでも浮き足立ってゆく自分が少し怖くなってブレーキをかけて、だけど彼と初めて繋いだ手を離して駅でバイバイした直後に入った三度目のデートのお誘いLINE(翌週の日程候補付き)にまたすぐに心は舞って、手を出してこない彼に本気を期待して、だけど次はもしかしたらと下着を新調したほどに舞い上がっていた分だけ、三度目のデートを終えた今、心が沈み切っている。
 胸の中に渦巻く暗い気持ちが重たすぎて、身体ごとシーツに食い込んでしまって、ベッドから起き上がれないほどに私は沈み込んでいる。

とても優しく背中を押されて、高い崖から一気に突き落とされた気分。

2時間経過 >

 天井を見上げている。
 ショックだった。心にポッカリ穴が開いた。と、いうより驚きの衝撃でくり抜かれた。
 聞いたばかりの「ほんとうにごめん」が、彼の男っぽい見た目のわりには少し高い声が、心のこもった「申し訳ない」が、鮮明に耳に残っている。
 涙は一滴たりとも出ていない。だから余計にたちが悪い。黒い霧のような感情が、なかなか身体の外へと出ていかない。
 視界はずっと、滲むことも霞むこともなく天井の白で埋まったまま。下地のベースから三層に重ねづけしたファンデーションを肌に重たくのせたまま、夜がふけてゆく。
 シャワーくらい浴びようかと思ってみても、彼に脱がされることのなかったシルクのパンティを自分の手で脱ぐ気になれない。

>半日経過

 飛び起きた。目覚めた時には出社時刻の30分前だった。ベッドから飛び出してシャワーを浴びて遅刻を詫びるメールを打ち込みながら家を出た。あまりの焦りに胸の痛みなんてものは吹き飛んでいて、仕事という名の現実があることに感謝した。
 でもそんなのは一瞬だった。電車に乗り込んだ頃には胸がザワつきはじめた。
 スマホに彼からの「おはよう」が飛んでくるのは、だいたい通勤中の電車の中だった。毎日ではないけれど、だからこそ彼と「おはよう」って送り合えた日は特別な幸福感に包まれた。たったそれだけだと思われるようなことがものすごく嬉しくて、もう二度と彼からの連絡はこないんだと思ったら、もう這い上がれないくらいのところまで気分が落ちる。
 毎日、彼とLINEで連絡を取り合い始めてから3カ月が経っていた。「習慣」になりつつあったのだということを、失ったことで痛感している。こんなふうに私を一気に切り落とすなんて、彼はとても残酷な人だと今思う。
 デスクについても、仕事などまるで手につかなかった。
 何かに取り憑かれたかのように[失恋][時間][どれくらい]なんてワード検索をかけてはなんのクスリにもならないネット記事を会社のパソコンで読み続けている。もちろんわかっている。一緒にいた時間と二人の関係と想いの深さと別れ方とで何もかもが違うって。
 それでも、目安が欲しい。風邪なら1、2日、インフルエンザなら3、4日、コロナなら5〜7日。個人差はあるとはいえ、苦しさのピークが続く日数のデータは出ているじゃないか。あまりのしんどさにうなされながらも、あとどれくらいでマシになるのかという情報が心を支える。最悪の状態には出口の目安が欲しい。時間がクスリとなっていつかは抜け出せるって言われても困る。いつなのか、が知りたい、今すぐに。[失恋][辛さのピーク][いつまで][好きな人][忘れ方]ネット検索が止まらない。
 隣の席の後輩が戻ってくる気配がして、恥でしかない内容の記事を光の速さでエクセルの裏に隠した。
「お疲れ」と平常心を装って後輩に挨拶したら、「ごめん」と突然、彼の声そのままに言われたセリフを思い出してしまった。「ほんとうにごめん」。あれは、手をつないだことへの謝罪だったのかな。キスもしていないのに、あんなに謝るなんて……。なんて、なんて……。

ダメだ、彼をどんどん美化してしまう。一刻も早く、このしんどさから抜け出したい

2日経過 >>

「やっぱり無理です。忘れられません」
 届かないとわかっているのに、彼にLINEを送ってしまった。もしかしたら既読がつくかもしれない、と無駄な期待を繰り返しながら一日中、トークルームを何十回と開いてはそのたびに落胆し、死にたくなるほど心がすり減った。23時間待ってから、やはり彼に届くことがなかった送信を取り消した。あまりの虚しさに傷ついてしまう。

>>>3日経過

 朝の6時15分にオルゴール調の「真夏の果実」が流れだして、目が覚める。手繰り寄せたスマホ画面で日付を確認して、まず逆算。あの夜から、3日が経過。
 新しい朝がきて、初夏の日差しがカーテン越しに部屋を明るく照らしている。それでも心にはまだ分厚い霧がかかっている。スマホを手にした瞬間に、彼からのLINEがきていないことに何よりも落ち込んでいる自分がまだここにいる。
 まだ、ダメか。―と、いうよりも、きっと今が辛さのピーク。そうやって自分で自分の心を診察することでなんとか自分をなだめて身体をベッドから引き剝がす。
 別に、今日は休みだからこのまま寝ていることもできるけど。もし、失恋したばかりじゃなかったらこのまま二度寝に入ったかもしれないけれど、私は絶対に7時からのピラティスに行く。そうでもしなきゃ、どこまでも暗いところに沈んでいってしまうから。
 晴れていて、よかったな。
 洗った顔に化粧水と日焼け止めをたたき込んで、キャップをかぶって外に出た。飛ばされそうになったキャップを片手で押さえて歩き出す。木々の緑が、サラサラと音を立てて揺れている。歩くたび、爽やかな風がわりと強めに頰をなでる。ほんの少しだけど心が軽くなる。
 そういえば、泣きたい時に空が晴れているのは残酷だって曲があったな。雨だったらよかったって曲で、Coccoだな。もし、その涙の理由が失恋だったなら、きっと泣けるほど深い関係だったってことだよな。私の場合は、違うから。だから泣けもしなくって、ただただ虚しさと満たされなさが内側でクツクツと煮詰まっていく。
 ほんとうは、誰かに話せばいいんだろうな。涙が出ないのならせめて、今この胸の中にある感情に一つずつ名前をつけて、言葉にして、それを次々口から外に出すべきなんだろうな。でも、そうするためには相手にまずは何があったのかを説明をする必要があって、私はどうしても今はそれをしたくない。

>>>3日半経過

 ピラティスで自律神経を整えて、食欲なんてなかったけれどボールにたっぷりと入ったチキンサラダを努力して完食して、太陽の下をたっぷりと歩いてセロトニンを分泌させたら、このまま気分が晴れてゆく気配を初めて感じることができたので今夜は早寝することに決めた。とにかく身体を動かして疲れさせて、頭で何かを考え始める前に寝てしまう作戦だった―のに、日が落ちてすぐに入ったベッドの中で症状が一気に悪化した。それも、予想していなかった方向に……。
 身体の奥のほうに、こもった熱があることに気づいてしまった。そこは火照っていて、疼きを感じる。欲求を認識してしまった途端に、欲しくてたまらなくなってきた。目なんか閉じなくても鮮明に思い浮かぶ。
「マニュキアを塗りたくなるようなカタチだね」って思わず褒めた彼の長方形のキレイな爪。細いのに、関節のゴツさには男を感じる長い指。清潔にクリーニングされたワイシャツの袖まわりの真っ白さ。少し焼けた肌にクッキリと浮き出る喉仏と、声をあげて笑った時に唇の内側から一瞬だけ見えた小さな下の歯。下の歯並びの一箇所だけガタつきがあって、彼の洗練された雰囲気とのギャップがとても可愛く思えた。涼しげな目元とバランスの良い肉厚な唇は柔らかそうで、重ねてみたかった……。
 キス、すると思っていた。セックスも、彼とはそのうちするものだと思っていた。関係のほうがもし真剣なものにはならなかったとしても、身体を重ねることは絶対だと思っていた。いくら浮かれていたとはいえ、そこだけは読み違えたりはしない。私たちは互いにそれを求めて見つめ合っていた。むしろ、グッと我慢し合っていたからこそ気持ちがどんどん加速した。
 互いの欲情がピークに達する1ミリ手前で彼が別れを切り出したのは、誠意だろうか。優しさだろうか。どうだろう。もう、めっちゃくちゃにヤッたあとでのカミングアウトだったなら、せめて、嫌いになる理由だけはもらえたはずだから。
 気持ちを割り切るための理由も足りなければ、身体の芯に宿った火照りもそのままに置き去られた。

恋心と欲情のピーク1ミリ手前で一方的にシャッターを下ろされて、私は戻るに戻れず宙に浮いている。

 目を閉じて、うつ伏せになって目を閉じて枕の中に顔を埋めて彼を想う。シーツに沈む自分の身体の重さを彼の身体の重みと思って自分の指で、熱をおびているところをパンティ越しに触れてみる。そっと触れるだけでも気持ちがよくて、彼とこうしたかったと猛烈に思って悲しくなった。

 想像しようにも、彼の身体を私は知らない。
 私の身体の中に彼が入るその感覚を、この先も知ることができない。知ってから離れるのは今よりももっと辛かったとは思うけど、欲しくてたまらなかったものを永遠に知ることもなく、知りもしないものを猛烈に欲しながらも何も得られぬ夜は、すでに見事に地獄のよう。

LiLy_作家。蠍座。N.Y.、フロリダでの海外生活を経て上智大学卒。2児の育児に奮闘中。小誌で「ここからは、オトナの話」を連載中。

LiLyさんのInstagramはこちら

次回に続く。

otona MUSE 2023年7月号より

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