FASHION

「私ね、人生プランが『カバーモデル』『母親』の二軸だけなんだよね」梨花が選択した【生き方】

21歳

「カバーモデルを目指す」という選択

モデルをやるからには、カバーモデルになってやろう!

 

スカウトされた18歳のころから、たくさんテレビのお仕事をさせてもらったり、CDを出させてもらったり、本当に恵まれていたほうだと思う。それでも、なんかどこかでピンと来ない自分もいて。初めは別に何かがすごく明確だったわけじゃないんだけど、ファッションとか、洋服が好きっていう安易な理由と、よく雑誌を読んでたっていうのもあって、『JJ』のモデルになりたいって事務所に伝えたの。もちろんすぐなれる訳じゃないんだけど。やるならとことんやる性格だから、モデルをやるからにはカバーモデルになろうって決めて。がむしゃらにそれを目指し始めたの。

 

“モデルは芸能人の卵”という時代。雑誌の表紙は、芸能人が飾るもので、モデルがカバーになることは、ありえなかった。

23歳

『CanCam』で初めてカバーを飾る

編集の人に好かれるタイプではなかったし、自分の個性なんてわからなかった。でも、誰かが私の「私服」に興味持ってくれるなら、とにかくそこを頑張ってみようと必死だった。

 

『JJ』でモデルを始めたとき、スター選手はもういたの。小さな仕事しか入ってこない中で、どうしたら認めてもらえるかとか、知ってもらえるかっていうところはものすごく考えていたと思う。そんな中、アンケートで私の私服をもっと見たいって言ってくれる読者の子がどんどん増えていって。そのおかげで、私服企画のお仕事とかを少しずつもらえるようになっていったの。お気に入りのアイテムを車の中の段ボールに突っ込んで、すぐ出せる準備をしておいて。何か言われたらいつでも「私、これ出せます」みたいな感じで、スタンバイ万端な子だった気がする。結局『JJ』でカバーはできなかったんだけど、『CanCam』で初めてカバーを飾れて。自分をアピールするために“プライベート”っていうところに着目して、そこの力をつけるっていうのは、そのころから始まって。それが今の私を作ってるなーと思う。

 

私は、読者に持ち上げてもらった。

24歳

赤文字以外で道がひらけたきっかけ

可能性と気づき。

 

『SPRiNG』に掲載された、モノクロの写真。それまで私が出ていた赤文字系の雑誌は、絶対的に笑顔が求められたんだけど、そうじゃない表現だったその1枚をきっかけに、カルチャー誌やモード誌のお仕事も増えていった。

25歳

赤文字を辞める選択

カバーガールの賞味期限。

 

当時はカバーガールって賞味期限が約2年だったんだよね。だから、自分で決めて赤文字は25歳で辞めちゃうんだけど、その後に出られる雑誌って日本はコンサバ誌しかなくて。コンサバは何か違うって思ってたから、進んでいく場所がなくなっちゃって。当たり前だけど仕事が少なくなっていくから、「私、終わった」ってすごく焦ってた。

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P1-4 All photograph by『NO. 22 RNKA』(SDP), Courtesy of STARDUST PROMOTION
P5 上 photograph by ITTETSU MATSUOKA from otona MUSE AUGUST ISSUE 2026
P5 下 photograph by YUKI KUMAGAI from otona MUSE AUGUST ISSUE 2022
P6 photograph by TISCH from otona MUSE JULY ISSUE 2015

otona MUSE 2026年9月号より

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EDITOR

37歳、輝く季節が始まる! ファッション、ビューティ、カルチャーや健康など大人の女性の好奇心をくすぐる情報を独自の目線で楽しくお届けします。

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